私が今、思うこと

76年前の大空襲に鎮魂の祈りを

 東京都は、1944年11月から106回の空襲を受け、その中でも1945年3月10日の「東京大空襲」の夜間空襲だけで、約10万人以上が死亡したとされています。とりわけ本所松坂町・元町(現在の墨田区両国)を中心に焦土化となり、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていました。
 東京都墨田区横綱の都立横綱町公園内にある東京都慰霊堂は、大正12年9月1日に発生した関東大震災の遭難者(約58,000人)のご遺骨を納めるための霊堂として「震災記念堂」と名付けられ完成しましたが、東京大空襲で亡くなった方のご遺骨も慰霊塔に納められ、1951年に名称を「東京都慰霊堂」と改め、震災・戦災合わせて約163,000体のご遺骨が安置されています。
 毎年3月10日に、東京都慰霊堂の近くにあるホテルにおいて、私の先輩・仲間の皆さんが二度と戦争の惨禍を繰り返さないとの誓いと鎮魂の祈りを込めて追悼平和集会を開催していましたが、コロナ禍において昨年に引き続き、今年の開催も見送りとなりました。
 私が生まれた山梨県においても1945年7月6日深夜から7日(たなばた空襲)の間に甲府市を中心に広範囲で大規模空襲を受け、約2千名の死傷者・行方不明者となりました。
 13年前に他界した私の両親は、10歳と9歳で戦争やこの空襲を経験しました。生前に戦争や空襲時のことをしっかりと聞かなかったことが悔やまれてなりません。二度と戦争の惨禍を繰り返さないことを誓い、犠牲になられたすべての御霊に哀悼の誠を捧げます。合掌。